プログラミングを学ぶ=プロのエンジニアになる道。そう思っていませんか?
今回お話を伺ったSさんは、大手化学メーカーで働くデータサイエンティスト。
プログラミングを本格的な仕事にしているわけではなく、「化学」という自分の専門分野にプログラミングを掛け合わせることで、約6万人が参加する国内最大級のITイベント「AWS Summit」に登壇するほどの活躍をされています。
Sさんがプログラミングを学び始めたのは大学2〜3年生の頃。
約7年前のその頃に、プログラミングを教えてきたSandbox代表・野澤との対談形式でお届けします。
化学メーカーで「文化を変える」仕事
野澤:まずは今、どんなお仕事をされているか教えてもらえますか?
Sさん:化学メーカーでデータサイエンティストとして、DXや生成AIの活用を進めています。自分の中では「生成AIとデータサイエンスを武器に、化学業界でイノベーションを起こす人材」だと思っています。具体的には、製造現場の人たちと実際に話をして、化学のドメイン知識を生かして共通の話題を持ちながら、「現場のイノベーションをどう起こすか」を一緒に考える仕事ですね。
野澤:イノベーションというと、たとえば作業効率を上げるとか、具体的にはどういうことを指すんでしょう?
Sさん:数値の改善や時間短縮にこだわらず、そもそもの「文化を変える」ことをメインにやっています。生成AIやデータサイエンスを使わなくても、業務フローをガラッと変えて済むなら、それをいかに現場にやってもらうよう説得するか。ツール主導ではなく、目的主導で動かす。これまでの古い、現代に合わない文化をしっかり変えて、新しい文化にしていくのが仕事です。
野澤:紙ベースだったものをデジタル化するとか、属人的になっている知見の共有を変えるとか、本当に幅広いんですね。
Sさん:そうですね。製造業は昔ながらの会社だと、その会社独自のコミュニケーション方法が残っていたりするので、そこも含めてちゃんと伝えながら改革していく、という感じです。
6万人が参加する「AWS Summit」に登壇
野澤:先日、AWS Summit(Amazonが主催する国内最大級のITイベント)に登壇されていましたよね。どんな内容だったんですか?
Sさん:現場に眠っている、活用方針が見えないまま慣習で蓄積されてきたデータ——時系列の数値データや手書きの文章など——をいかに活用して現場の判断支援に使うか。それをAIエージェントで解決した、という話です。ただ、肝心なのは「理想を語って導入しました」ではなく、現場の反発をいかに乗り越えて導入したか。そこをメインに話しました。
野澤:実際に導入する時の一番のハードルはそこですもんね。反響はどうでした?
Sさん:6万人ぐらいが参加するサミットで技術的な話がフォーカスされる一方、そういう泥臭い部分もかなり話題になって。終わった後、20人ぐらいの名刺交換の列ができ、その後更なる意見交換に繋がりました。
野澤:すごい。もしITの知見がなかったら、この活躍はできたと思いますか?
Sさん:難しいと思いますね。私も一からバリバリ全部コーディングできるかというと、そこまで自信はないですし、今は結局AIを使いながらシステムを作りました。でも、製造現場に入れるということは、トラブルがあった時にある程度責任を持たないといけない。自分の中にITの知識があるからこそ「これに関してはちゃんと責任を持てる」という範囲で導入できる。技術というより、自信と責任感のところで、学んできたことがかなり生きたと思います。
野澤:「AIに聞いて作れました」だけで中身を理解していなかったら、責任は持てないですもんね。
きっかけは大学時代の日記に残っていた
野澤:ここからは昔の話を。プログラミングを学び始めたのはいつ頃、何がきっかけだったんですか?
Sさん:過去の日記をさかのぼると、2019年、大学2〜3回生の頃ですね。当時の日記には起業やAIへの興味が書いてあって。「Pythonで化学メーカーをDXしよう」なんて最初から考えていたわけではなくて、「科学者も研究するだけじゃなく、産業や経営に関わる必要があるんじゃないか」という思いが出てきた頃でした。「プログラミングって本当に必要かな?」と疑うところからのスタートです。
野澤:最初はどう学んだんですか?
Sさん:初速は早くて、「プログラミングって必要かな」と書いた次の日の日記には、もう説明会に行ってブートキャンプに申し込んでいました(笑)。当時はPythonではなくRailsやSQLを触り始めて、本を一周して分からない用語を調べる、独学からのスタートでしたね。
野澤:僕と出会ったのはその後ですよね。
Sさん:はい、2020年の初めに、あるコミュニティで。当時はProgateというアプリでRailsを勉強していて、一通り攻略できたところで「次に何をしたらいいんだろう」と。そこで野澤さんにPythonのスクレイピング講座を教えてもらって。その日の夜の日記には「Python楽しかった」と書いてありました(笑)。翌日の日記には「プログラミングを使えば実験の仕事が早くできるかもしれない」「新しい能力を手に入れている感覚がある」と。プログラマーになりたいというより、化学以外の力を持ちたい、自分のアイデアを形にしたい、研究や仕事をもっと工夫したい——そういう好奇心につながっていたんだと思います。
「この時間の使い方は正しいのか」という不安
野澤:学ぶ過程でぶつかった壁はありました?
Sさん:プログラミングって最初は「黒い画面に英語の命令をたくさん入力する、限られた人だけができるもの」というイメージがあるじゃないですか。私もそうで、コマンドや専門用語が多くて何を覚えたらいいか分からないし、少し進んでも全体のどこをやっているのか分からない。序盤は面白さより退屈が勝っていました。それに一番大きかった不安は「自分にできるか」よりも、「これに時間を使うことは本当に正しいのか」でした。化学の研究もあったし、英語の勉強もしないといけない。全部中途半端になるんじゃないかと、悩みながらやっていましたね。
野澤:バグの解消に時間がかかって、不毛な時間が過ぎることもありますしね。それはどう解決したんですか?
Sさん:当時はAIなんてないので、Webで同じエラーコードを調べて対処法を試す、というのが基本でした。あとは野澤さんにチャットで聞いて「これは典型的なエラーだよね」と解決してもらったことも何回かありました。バグの検索の仕方も含めて教わったのは大きかったですね。
野澤:一個一個の対処法じゃなくて、応用が利くところを聞けたのは良かったのかもしれないですね。ちなみに、化学も英語もプログラミングも、と忙しい中で続けられたモチベーションはどこにあったんですか?
Sさん:新しいことができる感覚がすぐに来て、成果が目に見えるところですね。化学だと実験を仕込んで、早くて1日、遅いと数ヶ月後にしか結果が出ない。でもプログラミングは自分の試した工夫にすぐフィードバックが来る。そのサイクルが楽しかったです。
最初の作品は、研究室の解析を10時間から1時間にしたツール
野澤:大学時代はどんなものを作ったんですか?
Sさん:一番最初に作ったのは、IRスペクトル(赤外分析の波形)を自動で解析するPythonツールですね。
野澤:作ってましたね!懐かしい。あれは最初、自分のために作ったんですよね?
Sさん:自分のために作って、最終的にはexeファイルにして研究室に配りました。それまで10時間ぐらいかかっていた解析が1時間程度で終わるようになって、実験のサイクルがかなり早くなった。卒論を出す時には大きかったですね。振り返ってみると、学生時代の化学の研究がうまくいった一つのきっかけになっていたと思います。
野澤:その後も何か作りました?
Sさん:解析系はよく作っていました。大量のデータから一部を取得して表にする作業って化学系ではよくあるんですけど、「これは自動化できる」と最初から分かっているので、苦手意識なくすぐ自動化していきましたね。最初のツールで「解析は短縮できるぞ」という自信がついていたので、「この研究ならこれぐらいの速さでできる、一人より早くできる」というのが自信になりました。
野澤:コピペ作業がなくなって、時短にもなるし、ミスも減る。Excelだけだと限界がある部分を、Pythonなら簡単に自動化できるのはいいですよね。今の話を聞いていると、最近の活躍はまさにその延長線上にあるなと感じます。就活の時は、どういう軸で会社を探したんですか?
Sさん:解析の自動化で周りの人に感謝されたり「すごいね」と言ってもらえた成功体験があって、「誰かのために何かをするのが自分は好きなんだな」と気づいたんです。そして化学の研究も楽しかった。だからプログラマー一本ではなく、好きな化学というドメインを生かして、プログラミングで誰かに感謝されるような仕事ができたらいいな、という軸でした。会社選びも、最先端をすでに走っている会社は僕が行かなくてもどうにかなる。それよりポテンシャルがあって、今悩んでいて、自分を受け入れてくれるところを探しました。
野澤:実際そこで活躍されているわけですから、その判断は正しかったんでしょうね。
Sさん:どう評価されているかは分からないですけど、自分の信念を貫き続けられている感覚はあります。
7年前の自分へ、そして迷っている中高生へ
野澤:もし7年前の自分に声をかけるとしたら、何と言いますか?
Sさん:当時は「プログラミングって本当に必要か」という迷いがあって、一本に絞らないといけないと思っていました。でも「その迷いを無理に消さなくてもよかった」と言いたいですね。少しずつRailsやSQLを勉強したり、一旦は化学と英語という本当に伸ばすべきところに集中したり。遠回りしている感覚があったんですけど、結局今はそれが主軸になっている。ちょっとはみ出してやってみて、また戻ってくる。それでも全然役立つスキルになると思います。
野澤:やる時期があって、やめる時期があってもいいですもんね。では、これからプログラミングを学ぼうか迷っている中高生には、どんなことを伝えたいですか?
Sさん:プログラミングは「勉強するもの」というより、楽しんでもらえたら一番いいと思っています。僕にとっても、結局は仕事道具になりましたけど、最初は一種のおもちゃだったので。好きな時に「ちょっとやってみよう」、アイデアが出た時に「作ってみよう」、家族が欲しがっているアプリを作ってみようと思ったらその時に勉強する。日常でふと思った時に遊ぶ感覚でやってもらえたら、楽しめるんじゃないかなと思います。
野澤:真面目に堅苦しく学ぶものでもないですよね。最後に、これからの目標や挑戦したいことはありますか?
Sさん:大きな話をすると、日本の製造業を世界で勝てるようにしたい、という野望があります。若手の減少や海外との競争で右肩下がりなところはあるけれど、日本人の「工夫の力」はすごく強いと思っていて。生成AIやプログラミングをしっかり使えば、変えていける要素はいっぱいある。僕が研究室でやっていたようなちょっとした工夫だけでも、現場は変わっていく。ツールだけを入れるんじゃなく、現場の好奇心や向上心を刺激して、組織として、文化として変えていけるような仕事を続けていきたいですね。
野澤:めちゃめちゃいい話ですね。みんなが当たり前にプログラミングを使える状況になれば、若手も含め全員が価値を出して活躍していける未来がありそうだなと思いました。今日はありがとうございました!
編集後記
「プログラミングを学ぶ=エンジニアになる」ではない。Sさんの歩みが示しているのは、好きな分野(ドメイン)×プログラミングという掛け算の可能性です。
大学時代、「この時間の使い方は正しいのか」と迷いながら学んだプログラミングは、研究室の解析時間を10時間から1時間に短縮するツールになり、就職後は化学メーカーの現場を変える武器になりました。
最初はおもちゃでいい。遊ぶ感覚でいい。迷いも、無理に消さなくていい。プログラミングを学ぼうか少しでも迷っている方の、背中をそっと押してくれるインタビューでした。